撮り鉄もしくはそれメインの鉄活動や旅行記に書くまでもない小ネタを書きます。鉄以外でも大きなネタができればここに書くかも知れません。
※クリック可能な画像は拡大できます
4月13日、今日この日東北新幹線を走る最後の200系を使用した団体臨時列車が運転されましたので、
私の新幹線最寄り駅である、新白河駅にて撮影を行って来ました。
200系は東北新幹線・上越新幹線にて開業当時から
運転されている車両であることは言うまでもないでしょう。
しかし、時代の進化の波には逆らえず、新型車両E5系も登場したことにより徐々に表舞台から追い出され、
一昨年の11月に東北新幹線での営業運転が終了し、遂に先月の2013.3.15、翌日からのダイヤ改正により、
上越新幹線の営業運転も終了し、すなわち200系の終焉の日が訪れてしまいました。
しかし、営業運転から完全に撤退しても、この名高い車両をすぐに潰すことなく団体臨時列車として、
上越新幹線だけでなく、東北新幹線でも運転を設定したところは流石JR東日本です。
3/23に新白河~盛岡で1往復、3/30に盛岡→東京、4/13に仙台→上野とそれぞれ片道で、
団体臨時列車が運転されました。
このうち3/23の運転では、ポケモントレインと気仙沼線BRT乗車日帰り遠征中に撮影したことは、
ホムペに掲載した旅行記で公開しましたが、
今日4/13も東北新幹線を走る200系の最後の勇姿を収めてこようと、撮影に向かいました。
私の新幹線最寄り駅である、新白河駅にて撮影を行って来ました。
200系は東北新幹線・上越新幹線にて開業当時から
運転されている車両であることは言うまでもないでしょう。
しかし、時代の進化の波には逆らえず、新型車両E5系も登場したことにより徐々に表舞台から追い出され、
一昨年の11月に東北新幹線での営業運転が終了し、遂に先月の2013.3.15、翌日からのダイヤ改正により、
上越新幹線の営業運転も終了し、すなわち200系の終焉の日が訪れてしまいました。
しかし、営業運転から完全に撤退しても、この名高い車両をすぐに潰すことなく団体臨時列車として、
上越新幹線だけでなく、東北新幹線でも運転を設定したところは流石JR東日本です。
3/23に新白河~盛岡で1往復、3/30に盛岡→東京、4/13に仙台→上野とそれぞれ片道で、
団体臨時列車が運転されました。
このうち3/23の運転では、ポケモントレインと気仙沼線BRT乗車日帰り遠征中に撮影したことは、
ホムペに掲載した旅行記で公開しましたが、
今日4/13も東北新幹線を走る200系の最後の勇姿を収めてこようと、撮影に向かいました。
新白河駅に着くと、「ありがとう200系日帰り満喫の旅」とデカデカとした、
看板が目に入ります。遂にこの日がやってきたか・・・と思わせます。

発車案内表示は「団体 200」との表示。3/23は仙台で撮影していたので、
初めて新白河にて団臨の表示を目の当たりにしました。

撮影は当初到着ホームの反対側である、4番線を予定していましたが、
横からの光線が気になるし、撮り鉄も数人しか確認されなかったため、
到着ホームの1番線で撮影することにしました。
位置にスタンバイし、駅員の案内放送からしばらくして200系が姿を見せました。
しかしなぜか、動画撮影中にも写真撮影できるのに、それすら忘れるほど
食い入るように200系を見つめながら到着のシーンを動画のみ撮影していました。
これが最後の東北新幹線200系の勇姿。
車両は3/23に引き続き、開業当時塗装のK47編成が用いられました。

3/23の撮影では失念した、「団体」の表示

ちなみに新白河からの乗客は30人いたかいなかったかでした。
駅員さんらによる、横断幕でお見送りも行われました。

前方に回って出発のシーンを撮影しようとしましたが、停車時間は僅か。
回りこむ前に、東北新幹線最後の200系は関東へと旅立って行きました。

3/23に仙台で撮影した時より実にあっという間に終わってしまった200系撮影で、
ゆっくりと最後の姿を見たかったのですが、やむ無しです。
とにかく、僅かな時間でも最後に200系に会えてよかったです。
ページの末尾に3/23と合わせた撮影動画がありますので、よかったらこちらも御覧下さい。
出来れば団臨は撮影だけでなく、乗車もしたい気持ちはありましたが、
九州遠征でお金が確保できない面に加え、何よりも昨年東北新幹線営業運転撤退後の、
多客臨「やまびこ235号(東北新幹線大宮開業30周年記念号)」に全区間乗車できただけで、
満足していましたので、見合わせました。→その時の乗車記
思えばやまびこ235号の時は、E5系との共演も見ることができ、
その光景は一生忘れられないでしょう。

もっと過去を遡ると、私が幼少期の頃は当たり前のように200系を見て来ましたので、
今日の撮影は色々と感慨深いものがあります。
翌4/14には上越新幹線東京~新潟1往復団臨で最後の200系運転をもって、
正式に200系の歴史に幕を閉じることとなります。
30年と10ヵ月弱間、東日本の大動脈の礎を築いてきた200系。
ありがとう。そして、さようなら...
看板が目に入ります。遂にこの日がやってきたか・・・と思わせます。
発車案内表示は「団体 200」との表示。3/23は仙台で撮影していたので、
初めて新白河にて団臨の表示を目の当たりにしました。
撮影は当初到着ホームの反対側である、4番線を予定していましたが、
横からの光線が気になるし、撮り鉄も数人しか確認されなかったため、
到着ホームの1番線で撮影することにしました。
位置にスタンバイし、駅員の案内放送からしばらくして200系が姿を見せました。
しかしなぜか、動画撮影中にも写真撮影できるのに、それすら忘れるほど
食い入るように200系を見つめながら到着のシーンを動画のみ撮影していました。
これが最後の東北新幹線200系の勇姿。
車両は3/23に引き続き、開業当時塗装のK47編成が用いられました。
3/23の撮影では失念した、「団体」の表示
ちなみに新白河からの乗客は30人いたかいなかったかでした。
駅員さんらによる、横断幕でお見送りも行われました。
前方に回って出発のシーンを撮影しようとしましたが、停車時間は僅か。
回りこむ前に、東北新幹線最後の200系は関東へと旅立って行きました。
3/23に仙台で撮影した時より実にあっという間に終わってしまった200系撮影で、
ゆっくりと最後の姿を見たかったのですが、やむ無しです。
とにかく、僅かな時間でも最後に200系に会えてよかったです。
ページの末尾に3/23と合わせた撮影動画がありますので、よかったらこちらも御覧下さい。
出来れば団臨は撮影だけでなく、乗車もしたい気持ちはありましたが、
九州遠征でお金が確保できない面に加え、何よりも昨年東北新幹線営業運転撤退後の、
多客臨「やまびこ235号(東北新幹線大宮開業30周年記念号)」に全区間乗車できただけで、
満足していましたので、見合わせました。→その時の乗車記
思えばやまびこ235号の時は、E5系との共演も見ることができ、
その光景は一生忘れられないでしょう。
もっと過去を遡ると、私が幼少期の頃は当たり前のように200系を見て来ましたので、
今日の撮影は色々と感慨深いものがあります。
翌4/14には上越新幹線東京~新潟1往復団臨で最後の200系運転をもって、
正式に200系の歴史に幕を閉じることとなります。
30年と10ヵ月弱間、東日本の大動脈の礎を築いてきた200系。
ありがとう。そして、さようなら...
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